大切なお知らせ
<訃報>
MachuPicchuをずっと影で支えてくれた斉藤裕一氏が享年59歳で2021年4月1日に亡くなられました。心よりご冥福をお祈り致します。
斉藤さん!本当に本当に本当に有り難う御座いました!
<お詫び>
MachuPicchuはライヴごとにライヴタイトルを掲げ、ライヴタイトル曲を書き下ろし、初演し、またライヴタイトルに連動した小説をWayra氏に書き下ろして頂きその小説を掲載したパンフをライヴ会場で配布する活動をして参りましたが、Wayra氏の諸事情により小説を書くことが困難なため無期限にて小説掲載をお休みさせて頂きます。2018/12/29ワンマンライヴ「描き続けろ」の小説は長編のため配布されたパンフでは続く・・・となっておりますが小説サイトにて続きは必ず完成させ掲載する約束をWayra氏とさせて頂いておりますので完成した際はアナウンスさせて頂きます。
小説を楽しみにして下さった方々には本当に残念なお知らせになり申し訳ございません。
この場をお借りして、本当に今まで素晴らしい小説をWayra氏ありがとう!
そして必ずまたMachuPicchuライヴ連動小説の再開を祈っております。
令和元年5月末日 記
楽曲秘話
楽曲「心が全ての鍵を握っている」
「心が全ての鍵を握っている」は1994年からライヴ会場で演奏され、アルバム「鳥のように」に収録リリースされた楽曲です。この曲は初めてスクーバダイビングを経験し海の中に身を置いた時に生命の誕生は海から始まった知識とイメージの中で「確かに昔、僕たちはここにいた…」そう感じ、原始の海の中で進化の途中で他の生命体に寄生する事を選択したミトコンドリアの存在が一気にフラッシュバックしました。我々人類の細胞にもミトコンドリアが存在する事がそうさせたのかもしれません。「心が全ての鍵を握っている」のイントロはまさにミトコンドリアが寄生を選択した世界観を表現したものです。心臓移植した人がなぜか移植前とは別の記憶を持ったり食事の好みが激変したり、調べてみるとドナーの記憶と食事の好みと一致している。そんな不思議な話を聞いた事が有ります。心臓は脳の命令よりも単体で自立して動いている臓器らしく、なんとそれを支配しているのがミトコンドリアという説も有るみたいです。楽曲「心が全ての鍵を握っている」はミトコンドリアという原始生命体の存在と共生、そしてそれが我々の心臓を支配し記憶までも支配しているかもしれない壮大なイメージを元に、昔から「病は気から」と言うことわざが有る様に、我々は確かに何かに支配され動かされているのかもしれない、でも「気持ち」が自分自身を支配しうるのでは?そう「心が全ての鍵を握っている」のではないか?そう思うのです。とても難しい事ですが、「心頭滅却すれば火もまた涼し」なのでは無いでしょうか?楽曲「心が全ての鍵を握っている」は生命の神秘から端を発し自分自身は「心」をコントロールする事で目の前の出来事を白にも黒にも感じる事が出来るのでは?つまり目の前の出来事、この世の全ての現象もまた真理とは別かもしれませんが「心が全ての鍵を握っている」のではないのでしょうか?そんなメッセージを込めた楽曲です。
楽曲「太陽は昇る」
「太陽は昇る」は1999年からライヴ会場で演奏され、アルバム「鳥のように」に収録リリースされた楽曲です。この楽曲を作るきっかけは、真実とはなんだろうか?と考えた時に時代や世代や国や宗教や哲学や思想など様々な要素を考えると答えが一つにならない。そう感じたことがきっかけです。少なくとも我々はかつて太陽が地球の周りを回っていると考えていました。現に私も現代教育を受けて知識がなければ、どう考えても地球が太陽の周りを回っていると感じられないでしょう。人は何を持って真実と定義づけているのでしょうか?「苦しい」と感じる感覚もどの程度の苦しみかでは無く本人が苦しいと感じればそれは「苦しい」と言う事実であり真実です。そう考えて行くと国や人種や哲学、思想を超えて皆んなが共有できる真実は太陽が昇り朝が訪れ、また太陽が沈み夜が来る。この事だけは共有出来る真実なのではないか?そう考えました。その真実を軸に善人にも悪人にも老若男女、地球上の生き物全て必ず新しい「明日」が訪れる。真っ新な時間には無限の可能性が秘められている!そんなメッセージを込めた楽曲です。
楽曲「どこまでも」
「どこまでも」は1995年に初演され、アルバム「意識の旅」に収録されている曲です。
この楽曲はアルバム「鳥のように」に収録されている楽曲「太陽は昇る」の別バージョン的な楽曲です。正確には「どこまでも」の別バージョン的な楽曲が「太陽は昇る」になります。
この世の中に「真実」とは本当に存在するのでしょうか?
事実、一昔前では太陽が地球の周りを回っていると信じられていました。その時代での、それ、が真実です。楽曲「太陽は昇る」のエピソードでも「真実」に対しての考えを書いているのでここでは省略しますが、恐らく、全ての人に共通した「真実」とは普遍的なものだと思います。
その一つが太陽が昇り、沈む、この流れで一日が終わる。事だと思います。
楽曲「どこまでも」はこの普遍的な営みが何万年前から、そしてこれからも「どこまでも、いつまでも続いて行く」でもこの当たり前の営みも宇宙の営みの中の「奇跡」がもたらしたもの。
その奇跡の営みから産まれた様々なものを「人類」が壊して行く行為を憂い、でもそんな事はおかまいなしに、やっぱり、太陽が昇り、沈む。そんな想いを楽曲にしたものです。
どこまでも・・・ いつまでも・・・
でも気が遠くなる未来には太陽が爆発し地球も消えてなくなると予測されています。
その事を考えたら、太陽が昇り、沈む。この営みも普遍的では無いのかもしれませんが、
少なくとも僕たちが生き抜く次元から見たら普遍的な営みだと思います。
とは言え、この営みも「奇跡」がもたらしたものなんだと、感謝の気持ちを持って
一日一日を生きて行きたいと思います。
楽曲「埋葬の唄」
この曲は2004年1月28日のタイトル曲として初演されました。
この曲は実は2001年9月11日のあの事件を切っ掛けに書いた曲です。
「戦争反対!」この言葉は僕には軽々しくは発言出来ない言葉です。
でも本当は心の底から叫びたい言葉でもあります。でも戦争を体験した事も無い自分に戦争の悲惨さを語る事がどうしても「偽善」に思えてしまい、作品として世界に発信する勇気がなかった、その時です。忘れもしない2001年9月11日。いつものように深夜まで曲作りの作業をしていて、休憩がてらTVのスイッチを入れた時です。まるで映画のいちシーンのような映像が飛び込んできました。
「えっっ!これマジ?」「どっきりかなんかかな?」そう考えて間もなく、2度目のまたもや信じられない映像が…旅客機がビルに…
宗教的思想の違い?血で血を洗う?とにかく信じられない、でも目の前で起こっている事実を受け入れられないままTVでは何度も信じられない映像がReplayされ朝を迎えました。
僕はその時、素直にこう思ったんです。
誰かの為に歌うなんてあまりしないけど
「もし、戦争を終わらせられるなら、戦争をこの世から葬り去れるなら、そう、埋葬出来るなら
僕は喜んで戦争さん、貴方の「死」の為に花束を捧げ、心から唄を歌わせて頂きますよ!」
そういう想いで「埋葬の唄」を創りました。
冒頭部のギターソロは敬愛する我がMachuPicchuのギターリスト池さんに「戦争のおぞましさ、憤り、悲しみ…そんな想いを、とにかく激しく弾き倒して欲しいとお願いして、見事に答え、表現してくれました」
戦争反対の看板を掲げ、デモ行進するエネルギーは今の僕にはまだ有りませんが、音楽家の端くれとして「埋葬の唄」という看板を掲げこれからも歌い伝えて行きたいと思います。